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帰国直前 [東南アジア]

5月の中旬にミクシィーに書いた日記です。契約終了2週間ほど前のことです。

あと2週間ほどで帰国。 
先月の終わりから、報告書を作り始め、2週間ほど前から 
会社に残しておく経理書類や物品などのチェックをしている。 

今週は東京からミッションが来ているので、少し対応が 
あるけれど、当初の計画から大幅に変更になったのは 
助かりました。だいぶ楽している。 

次の仕事は、どうしようか考えていて、もう1回楽しく仕事ができるかな 
リベンジと思い、ジャカルタのポストを受けたけどダメでした。 

どうしようか考えています。でも今と同じポジションの 
仕事は止めようかなと本当思っている。 
2年後3年後立ち上がるに案件がほとんどないと思われるし、 
このままやっていても、この仕事に持続性がないと思う。 
だから、結果的には良かったかもと思っている。 

ジャカルタにやってきたのは3年前、当時はインドネシア語は何もできなかったけど 
いまでは電話で受け答えしたり、インドネシア人の職員には半分以上 
インドネシア語で会話している自分。もう2年か3年いればもっとインドネシア語 
できるように勉強したと思うけど。 

少ないながらも仕事と関係直接あったりなかったりするけど、インドネシア人の友人も 
できたし、友人たちともこれからはなかなか会えません。(ジャカルタでも 
そんなに出合う頻度は高くないのですか) 

日本では厳しいこともいっぱいあると思うけど、まあ良い事もあるとおもう。 

Open University Malaysiaの勉強が少し残っている。修論を書けます。 
できれば、間をおかずにPhDのコースを取ろうと思うおっさんでした。

 

今の気持の持ちようと対して変わりはないようにも思えます。でもやっぱり違うように思います。

幸せは自分の心が決める

相田みつをの言葉です。


シンガポールの友人 [東南アジア]

今年の1月にミクシィーの日記の書いたのをそのまま貼り付けます。そのうちミクシィーとリンクさせます。

シンガポール人の知り合いがいます。 
知り合いと言っても、年に1回位メールを交換する位ですが 
写真を通じて彼女のことを知っています。 
昨日彼女からメールが来て読んでびっくりしました。 

シンガポール国立大学出身の彼女は、日本語も上手 
(会ったことも話したことはないけど、写真とかコメントとかをみると 
すぐにわかります。) 
年齢は知らないけど、20代後半か30初め。綺麗な女性だと思います。 

去年の5月から体調を崩して、病院で検査したら、腎臓機能が停止していることが 
わかり、ある病気と言うことがわかったそうです。完治することはないと告げられ、 
11月から年末まで入院して治療していたそうです。投薬などの治療の副作用で 
髪の毛がごっそり抜けたり、肌の色も変わり、毎日泣いていたそうです。 

メールを読んでいるだけでこちらもポロリとしそうになりました。 
自分にも虹彩炎という目の病気が慢性化しているので、いつ 
症状がでるのかわかりません。酷いと目に直接注射したり、ステロイド 
の目薬をさしたりしないといけません。でも彼女の場合は、もっと深刻。 

しかもこれから先、自分もそうだけど、彼女も病気とは向かう会う必要があります。 
でも、メールを読んだ限りだと、苦しい時期を少し乗り越えたと思いました。 

振り返って今の自分、去年の春くらいから苦しい局面が続いています。 
今、周りで起こっていることを考えると、正直自分の手の届かない 
コントロールできない部分です。でも覚悟は決めました。 
何があろうとありのままに受け入れ、乗り切れると信じています。 
(昨日もショックな情報を聞いてしまいましたが、心の中では想定 
していたことだったし、ありのままに受け入れようと思います。その通り 
しました。) 

でもそれさえも彼女の病気に比べれば、実は全然たいしたことないんだなと思います。 
少しはタフになったかもしれないけど、まだまだな自分だなと思います。 

また訳のわからない文章になってしまい、すみません。 
しかし私はありのままに受け入れ、そして最後は何とかなると思います。

 ※ときどき彼女のことが気になります。元気なのかなって。だから返事もらうことは期待せず、メール出します。

 


アボガドジュース [東南アジア]

インドネシアには行ったことがありません。
でもネシアにはおいしいものがあります。

ここでも原材料は売っているけれど、ラオスやタイでは見たことがないもの
アボカドジュースです。

ラオスやタイではスイカジュースとかマンゴージュースが
おいしいけれど、ここでは見たことのないアボカドジュース
もおいしいです。

あのアボカドがジュースでうまいのか?と
疑問に思われる方も多いはず、でもかなりいけます。
私は好きです。
レシピはネットで探せば、かなりの数ヒットします。
http://cookpad.com/recipe.cfm?RID=59895

作り方もすごくシンプルです。是非、試してください。


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ゴールデントライアングル [東南アジア]

ゴールデントライアングルと言えば、タイ・ミャンマー・ラオスをまたぐ麻薬の供給地として
有名です。私が住んでいたラオスでもケシ栽培が行われており、ラオスの生産量は
世界第3位です。(ちなみに1位はアフガン、2位はミャンマーです。)

ラオス政府も2005年までのケシ栽培の撲滅を掲げ、この問題に取り組んでいます。
私自身が少し、この問題に間接的に関与していたので、ここに少し書きたいと思います。
でもケシ畑などは見たことはことがないのでここでは一般的なラオスにおける麻薬について
書きます。
ラオスにおける薬物の問題は大きく分けて次の2つあります。
 (1)ケシの栽培・消費
 (2)ヤーバー(ATS)

ケシの栽培自体は、ラオス北部を中心に行われています。ラオスの北部は山がちで
私の記事にある写真のようです。
焼畑したすべての山にケシを植えるわけではないので、ほとんどが陸稲などです。
特に現在は政府の国家の重要政策としていることから、例えば国道沿いの山に
ケシが栽培されることはほとんどありません。国道から山をいくつも越えた場所で
栽培されています。(車で行くことはまず不可能です。)

ラオス全体でケシの栽培面積は1万2千ヘクタール、栽培量は120トン、単位面積当たりの
収量が10キロ/ヘクタール(いずれも2003年の数値)になり、アフガンなどに比べるとかなり
低い数字です。
(短い周期で焼畑を行った結果、土壌劣化した。また旱魃などがあったことなどが理由)

ところでこのケシ。ケシの未熟果実を傷つけて、乳液を集め、アヘンとなり、さらに精製すれば
ヘロインになります。ヘロインの方は当然麻薬成分が高いので危険になります。
ラオスのケシ栽培の特徴はかなりの割合で自家消費されることです。
農民がアヘンを売って稼ぐ収入は約全収入の40%程度です。

麻薬と言えば、危ない印象があり、実際中毒になることもあるものの、医者もいない・病院もない
・道路も保健施設も何もない場所では、病気の痛みを和らげる薬として使われることもあり、
病気が完治した後も使い続け、中毒になるケースが多いです。
中毒患者の典型的な層は40代以上男性です。これは労働の担い手は女性が中心で
男性は家にいることが多いからです。

ラオス国外で作られたヘロインもラオスを経由し、タイに流入することがあります。
ケシの場合は、国内の生産量が減っていることからも政府の取り組みには一定の
成果が出ていると思います。

今は深刻な問題になるつつあるのはヤーバーです。ヤーバーとはタイ語で狂った薬という意味で
アンフェタミン(覚醒剤と同じ物質)を成分とした薬物です。
ヤーバーもしくはATS(Amphetamine Type Stimulant )はミャンマーもしくは中国の雲南省で
生産され、最終的な目的地としてタイに密輸されます。タイとミャンマーは国境を接しているも
のの取締りが厳しくなったりし、取締りの緩い地域を通って、運ばれます。
その途中(のラオスなど)でヤーバーが消費されて、そこで広がっていきます。
ヤーバーの消費者は10代や20代の若者が中心です。ヤーバーはタブレットに通常なっており
1粒の値段が50~100円程度で、現地の若者でも買えない値段ではありません。
しかし、ヤーバーを買うために犯罪に走る若者もいます。

ヤーバーは、またアヘンによりも脳に与えるダメージが大きく、危険な薬物です。

ラオスにとって大きな問題は、若者をヤーバーから切り離すか(需要の抑制)
密輸の取締りの強化、近隣国との連携などなどを強化していく必要があります。

タイでもヤーバーは簡単に手に入れることができます。ヘロインやマリファナも難しくは
ないと思います。でもタイ(やマレーシア・シンガポール)では薬物の所持や使用していることが
わかり、捕まれば重罪になるので絶対手を出さないでください。それに脳にも悪影響を
与えます。良いことはひとつもないとはずです。
とんでもない刑務所で悲しい人生を過ごすことになるので絶対薬物には手を出さないことです。

予断ですが、ラオスではケシの花は2月くらいに咲くらしいです。(写真でしか見た事がないですが)

参考資料:国連ではUNODCが薬物問題に取り組んでいます。(ドキュメント等は英語のみ)
       http://www.unodc.org/unodc/index.html
       http://www.unodc.org/pdf/laopdr/lao_pdr_country_profile.pdf


ラオスいろいろ [東南アジア]

ラオスに行って、人の正式な名前の呼び方が国によって違うことを知りました。
ラオス(やタイ)では姓名ではなく、通常はファーストネームでお互い
呼び合います。そこにミスターとかくっ付け、公式にも使います。

ラオ人で有名な人はほとんどいないので、例として、
タイの首相のあげます。タイの首相はタクシン首相ですが、
彼の名前はThaksin Shinawatra(タクシン・シナワトラ)です。
シナワトラが姓にあたり、シナワトラグループといえばAIS
(タイの携帯電話のキャリアーで一番大きな会社)が有名です。

でも、Mr.ファーストネームはラオスに住む知り合い
のイギリス人に聞くと使い方がおかしいと言っていました。
でもシナワトラ首相とか言えば、誰か良くわからなくなる。
なお、ラオスの首相はブンニャン(・ウォラチット)首相です。


ラオスはどこ? その2 [東南アジア]

2月25日-ルノワール生まれる(1841年) kaikaiさん、はじめまして。kaikaiというのはパプア・ニューギニアのピジンで食にかんする単語のようですが、そこからとっているのでしょうか。



ほげるさん、はじめまして、niceありがとうございます。
実はいつもほげるさんの記事を拝見していました。フラ語には私もすごい違和感を感じます。
私ことkaikaiの名は、パプア・ニューギニアとは関係していません。
苗字の一部を2回繰り返しただけです。ラオスではイモ虫系を食しましたが
インドシナを主に活動してきました。もっともタイ語だとkaiは鶏の卵という意味です。

私は日本語と少しだけ英語で全て用を足していますが、
フランス語には前からすごく興味があります。多分ベトナムで1年間
ラオスで3年3ヶ月とフランスの影響を受けたアジアの国で
生活してきたことからも起因しているかもしれません。
実はもうひとつ大した理由ではない理由があるのでそちらについて
も次に書きます。

前回に続いてここではラオスについてもう少し書きます。
ラオスは、常に外国の影響を受けていた国です。
19世紀末から1975年の革命まではフランスの影響を強く受け、
革命後から冷戦が終わるまでは旧ソ連の影響。
そして最近は市場経済に移行しています。

ラオスでメジャーな外国語は世代によって違います。
大まかに言って次のようになります。
  フランス語=50代以上
  ロシア語もしくはドイツ語=主に40代
  英語=30代前半まで

古い世代のラオ人たちと話していて言われたことは、50歳以上のラオ人の人たちは、
子供の頃、学校でフランスの歴史を勉強しフランス語を勉強していたそうです。

私の知っているあるやはりかなり年配のラオ人は、フランス語、ベトナム語、タイ語
そして英語といった4つの外国語を使うことができます。
50代以降の世代は、フランス留学経験がある人が多く、そう人たち(や旧王国政府関係者)が
フランスにそのまま落ち着き、ベトナム人ほどではないにしろ、それなりの数がいるようで、
(日本ではあまり考えませんが)、そう人たちがラオスにいる親戚の子供をフランスで勉強する
時にお世話をするようです。しかし、フランス語を勉強する人たちは少数派で、
外国語といえば英語です。
フランス語が勉強できるのはフランス政府が運営している会館ぐらいです。

しかし、ラオスでフランスっぽいところを感じるのは次のようなところがあります。

 (1)役所の表示がほとんど全てフランス語で書かれています。
 (2)ラオスの首都ヴィエンチャンにも、凱旋門があります。

上の写真は3年程前のもので、去年のアセアンサミットで道路もずいぶん整備され
きれいになりました。
 (3)フランスワインが大量に輸入され、ラオスで消費されています。
   ラオ人は一般的には男性も女性もお酒をよく飲みます。

在留外国人でもフランス人はやはり多くて、フランス人子女の通う学校もあります。


ラオスはどこ? [東南アジア]

うまいタイ料理#2



こちらの記事をトラバします。
ラオスに行ったのが2001年だったのですが、場所さえも知らない人は多いです。
当時JALのマイレージ会員で住所変更して、ラオスに住所を変更したい旨
連絡したところ、応対した女性はラオスがどこか知りませんでした。
ラオスはアフリカになるのかなという人もいます。

そういう認知度の低いラオスとタイの関係について書きます。
ラオスの公用語であるラオ語(山岳少数民族は独自の言語を使いますが)は
タイ語と同じ言語の系統に属します。
タイ語とラオ語は文字も比較的に似ているし、数字も20を除けば発音は同じです。

かつてはラオスは今のラオスからタイ・イーサン(東北)地方にまたがっていました。
実際には18世紀にはラオスは3つの王国からなっていました。
18世紀末にシャム(タイ)がヴィエンチャンに攻め込み、このときにエメラルドブッダ
をバンコクに持ち帰り、シャムがラオスを属国化しました。

そこに19世紀末フランスがインドシナ半島の植民地化を行う過程で
今のラオスの領土をタイがフランスに割譲しました。イーサンはタイに組み込まれ、
仏領インドシナ連邦に組み込まれたラオスは、その後独立や革命が起こり、
現在のラオスとして国家ができています。

そのような経緯もあり、ラオスとイーサンは昔は同一だったので
ラオ人にはイーサンはラオスと思っている人もいるはずです。
ラオスの概説を記述している文献にはイーサンの人たちも20年ほど前は
自分たちはラオ人と言っています。※
したがって、言葉もイーサンの方言はラオ語に近いです。

料理も同様でラオスでは主食はカオニャ(もち米)です。イーサン料理ももち米をよく食べます。
パパイヤサラダのソムタム(ラオスではタムマクフーング)やラープなどのイーサン料理
はラオ料理とも言えます。
バンコクの空港で売っているラープ味のプリッツのラープも元々ラオスのものよとラオ人は
きっと言いたいでしょう。

ちなみにヴィエンチャンにもエメラルド寺院はあります。でもエメラルドブッダはバンコクですが...

※ラオス概説 ラオス文化研究所編 めこん社
上の地図は次のサイトから取り込みました。 http://www.state.gov/p/eap/ci/la/ 


森林破壊と焼畑 [東南アジア]

ラオスで仕事していたときに国内線にのり、ラオス北部へ
出張したときに、機内から撮ったのが下の写真です。

ところどころ山が禿げています。ラオス北部は山がちの地形で焼畑農業が多いです。

乾期の終わりの雨が降る直前(4月終わりか5月初め)に山焼きをして、種蒔きをして
雨が降りだすと、芽が出てきてきます。栽培するものは陸稲が多いです。

昔は、焼畑も10年15年周期くらいでしていたものが、
今は人口も増えて、焼畑の周期が短くなり、山が十分回復しないまま
焼畑をするので、土地も痩せてきます。

収穫できる作物では1年間食べることができないことも多いです。

山から降りて、低地で暮らす人も多いですが、焼畑農業から低地での
農業への転換はかなり大変です。
「環境!環境!」と私たちが言っても、森を守るのは現地の人だし、
彼らが一番その土地や森のことをよく知っているけど
食べるものが十分なくて、明日のことしか考えられない。
そんな状況で環境を守りながら、そんな人たちの生活を向上させるのか
そこが難しい問題です。


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テトの風景 [東南アジア]

6年前に住んでいたサイゴンのテト前の写真です。

おばさん嬉しいそうです。ハッピーテト!!


ラオス北部 [東南アジア]

今年の5月初めにラオス北部のポンサリ-県へ行きました。
ポンサリ-へはヴィエンチャンから飛行機で1時間ほどで、ウドムサイへ行きそこから車でだいたい6~7時間くらい林道みたいな国道を車で行けばつきます。中国雲南省と隣接しているの中国系の人たちが多く住んでいます。(雨季に行けばもっと時間がかかります。)
ヴィエンチャンやタイとはかなり街の風景の様子が違います。



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