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ソンクラーン [東南アジア]

慌ただしく1週間が経ちました。またしばらく忙しいのですが、いろいろ問題のあった体調もだいぶ改善してきました。昨日は病院に行き、お腹を見せたところ、大きくなった?と聞かれました。年始からほとんど走っていないので、冬太りしたのは確実です。今年の冬はそれほど寒くないとは頭で思っていても、体は走るのを拒否していたように思います。あたたくなってきたので、適度な運動して腸も活性化したいと思います。明日からは雨なので今日は走ろうと思います。

明日からはタイでは「ソンクラーン」カンボジア、ラオス、ミャンマー、そしてバングラやスリランカもこの時期はお正月。しかも1年で一番暑い季節だったりします。タイなどインドシナであれば水かけで結構楽しめますが、以前いたスリランカはお店も閉まるので、単身だったこともあり何もすることがないので、この時期は一時帰国していました。2年前だったと思いますが、タイ経由で帰国して、スリランカに帰任するため大阪からバンコクから飛行機乗ったら、ほとんどタイ人でびっくりしました。お土産の量が半端ではなかったです。皆さんお持ち帰りのお菓子の量が凄かった!

5年ほど前はロイズのチョコレートはタイにもなかったのですが、2,3年前にはバンコク、クアラルンプール、シンガポールあたりにもショップがオープンしているのには驚きました。ただ値段は日本の倍ほどはしましたが。。。。

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タイの人たちはソンクラーンになるとアロハシャツを着て、ピックアップの荷台に水瓶をおいて、街に繰り出し、水かけを楽しむ 


深いプール [東南アジア]

2月から体調不良で、3月になって風邪を引き、治ったと思ったらぶり返していています。やはり9年ぶりの日本で冬を越すのは体にはストレスかかったのかなと思ったりします。四季があるのは確かに良い事もありますが、寒さと最近の寒暖差の激しいのは体にはこえていると思います。

そういうわけで最近はいろいろなことのペースを落としていたりします。代わりに少しテレビも見ていますが、フリンジというのがXファイルみたいで面白いと思っています。今日もテレビを少し見ていたら、ある番組で水泳しているシーンがあり、東南アジアのプールをついつい思い出しました。イギリスでもそうだったのですが、プールが深い。ジャカルタにあるボルブドゥールホテルにあったプールの水深は3メートルほどありました。ビエンチャンにはオーストラリア大使館がレクレーションクラブ施設(通称オーストラリアクラブ)を運営していていました。ゴージャスな施設ではなく、質素でしたがジムもありました。ただエアコンはない部屋で暑そうでした。(現在はその施設は一般には開放されていないと思います。)

ラオスでいた頃は会員になりよく行っていました。そこのプールも2メートルほどの水深がありました。当時のオースラリアクラブ、子供の学校の友だちもきていていたし、フランス人もたくさん来ていて、子供だけでプールに入って、親はしゃべっているということも普通でした。プールで遊ぶ子供たちといえば2メートルの一番深いところだいたい遊んでいました。溺れたり、水怖がっている子供がいなかったです。タイやインドネシアでも結構水深のあるところでも欧米系の子供たちは平気で深いところに行っていました。

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日本だと危ないので、子供には絶対深いところには行かせないから考え方の違いを垣間見たような気がします。


LKY [東南アジア]

3月に入り風邪を引いてしまいました。今回の風邪は扁桃腺がすごく腫れて、痛かったです。実は父親が扁桃腺が腫れて、痰が喉につまってぽっくり亡くなったのが15年前、当時はラオスいたので死に目には立ち会えず詳しいことはわからないのですが、そのことを一瞬思い出しました。それでもまあ死なずに病院へ行って薬飲んでいたら、2月からあまり調子が良くなかった体調も風邪の回復と共にようやく持ち直してきてました。東京に行ったりしていたので少し忙しかったのですが、ようやく時間が取れ、21日は大阪城を久しぶりに走ることができました。走るのはすぐに慣れると思います。やはり健康でいられることがいかに貴重かと感じた2月3月です。

病気と言えば前から気になっていたリー・クワンユー(LKY)元首相の訃報が今朝ありました。シンガポールのラジオ局は朝から追悼番組をやっていました。政治にはあまり詳しくはないですが、尊敬するリーダーの訃報は悲しくもあります。シンガポールに住んだことはないですがシンガポールの同じ地域の東南アジアに長ったし、インドネシアのバタム島からシンガポールを眺めたことを思い出します。

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第2次世界大戦が終わって、シンガポールがマラヤ連邦に合流したものの、1965年にマラヤ連邦から追い出されて独立。このときは首相だったLKYはマレーシアから独立したくはなかったものの、泣く泣く独立させられ、今ではGDP一人あたりの所得は日本を上回るような国に発展した功績はLKYなしにはできなかったと思います。ISEASなどのシンガポールの高等教育機関にも凄く興味がありますが、国立シンガポール大学にはLKYスクールという公共政策を勉強できるところが一番興味がありました。

今でも覚えているのはシンガポールから空港まで乗ったタクシードライバーと話したこと。そのドライバーには娘さんがいて、学校の成績が良かったので、奨学金までもらって大学卒業できたこと、彼女のことを誇りにして、そしてシンガポールでは能力があれば道が開かれることを彼は話していたことです。もちろん、シンガポールで競争に勝ち残るのは大変だと思うし、友人に聞けば、サラリーマンは9時10時まで働くことになり、日本人と変わらない生活をしているし、(それに徴兵制で軍隊にもいかないといけない)、学校の勉強もかなり大変だと思うけど、移民を受けて入れることで新たな課題もできているので、彼の国もこれからの舵取りは大変だと思います。

LKYの子供であるリー・シェンロンが今の首相ですが、リー・シェンロンも先月、前立腺がんの手術を受けたばかりです。(彼も尊敬すべきリーダーです。)

RIP Lee Lwan Yew 

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1月17日の日記 [東南アジア]

今日は阪神淡路大震災20年。職場のある神戸でもイベントが多くあり、今日明日とイベントに参加したところが今日は仕事で職場へ。明日は当初は用件が入っていたため、イベントの参加を諦めたら、用件の方がキャンセルになり、残念。

あの地震のときはまだ実家にいて、前の晩に伊勢へ遊びに行って戻ってきて家で寝ていたら、たしか揺れはかなり感じたものの、うちのあたり震源からは離れていたこともあり、渡英するちょうど半年前の出来事。友人のやっている材木屋でお手伝いしていました。 在職した元会社は伊丹に工場があったり、大阪市内に会社があったから被災したみたいで、元同僚の人たちもすごく苦労されたようです。

そのあと、スマトラ沖の大地震と大津波。ラオスで住んでいた時、近所の日本人がご家族とクリスマス休みでたまたまタイに旅行しており、亡くなれました。

3.11の東日本大震災のときは、ジャカルタの職場でテレビを見るしかなく、今も大変な思いをしている人の事を考えますし、最近仕事を通じて知り合った関係でも非常にショッキングなニュースを受け取ったりしました。普通でいることの幸せを感じます。

そして今日はセンター試験。最後の共通一次を受けた世代です。共通一次にも苦い思い出があります。米騒動と言うやつです。その前年まではたとえ答えが1であればマークするのは一桁のみ。しかし89年の共通一次から二桁記入になっている場合があり、その場合は※1とマークしなければいけなくなりました。前年まではそんな問題が一切出なかったし、理系の自分には数学は200点満点で当たり前だったのが、※のおかげでガタガタになり、そのあともボロボロな結果になってしまい、何で自分は京都の学校に合格したのかわからないくらいでした。 (苦笑)

ともかく受験生の皆さんには全力で頑張ってほしい!私は先に仕事を終えたので乾杯しておきます。

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デング熱(処置室脱出) [東南アジア]

前回は処置室に放り込まれ一夜を過ごしたところで終わりましたが、最初の日に処置室に入ってすぐにトイレに行きたいと体を起こしたら、点滴の針が外れて血が噴き出し、ホンマにびっくりしましたが、元気が全くなくて、でも疲れていないし、熱で頭がぼんやりしている。外の景色も見えない。ほとんどは一人でいたので、いつまでもこの状態が続くと思うと結構気が滅入りました。

血液を採取して血小板と白血球の数を調べますが、誕生日はまだ増えていません。しかも熱もあり、頭がぼんやりとしつつも、非常に情けない誕生日になりました。誕生日の夜も一人ですごしました。当然ながら誕生日の夜も2時間毎にトイレにいく点滴生活。翌日になり、熱が引き、血液検査をしたら、血小板の数も増えてきているので、ようやく処置室から脱出して帰宅して良い事になりました。結局処置室に2泊しました。これって入院したのかよくわかりませんが、きっと生まれて初めての入院なんだろうと思います。

しかし、まだまだ食欲がない、意識はボッーとしていましたが、帰宅前に精算した時、処置室の一泊が何と5万円ほどするではありません。驚きました。たっかー!思わず病院のスタッフにそれならフォーシーズンに泊まりたかったですとポロッと言ってしました。釈然としない思いで家族と一緒に自宅のアパートに戻ったのですが、今度は足がむず痒い。無性に痒い。脚に血がうっ血して皮膚の表面近くに出てきています。帰った日の夜はこの痒さが寝させてくれなかったです。もう嫌だ眠いという状態。

翌日の朝も痒かったけど、昼くらいになると痒さは前触れもなく突然消えました。以降は普通の生活に戻りました。しかし、デング熱の後は肝機能の低下や免疫能力の低下で病気はしやすいのでしばらくはムリは禁物。3ヶ月ほどはお酒も控えました。

一般的には東南アジアではデングは子供の病気とみなされていますが、大人が罹らないということではありません。デング熱には4種類のウィルスがあり、最初のデング熱の症状はそれほどひどくないのですが、23回となると回を重ねるごとに劇症化します。もし私が次にデングに罹るとデング出血熱になる可能性大です。そうすると死んでしまうこともあります。それでもマラリアのほうがやはり怖いです。デングはやっぱりデングです。マラリアはこれからずっと先も苦しめられる病気です。それじゃ何でそんな怖い思いまでして外国に行くのか考えると、この歳で正社員として雇ってくれる会社が日本にはないからかもしれません。(苦笑)

しかし結局日本に帰って仕事しているので、人生ってどう転ぶのかまったくわからないですね。 [るんるん][るんるん]

そういえばジャカルタ駐在時最後に四十肩にもなりました。次回は四十肩がトピックの予定です。 


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2010年8月デング熱 (点滴まで) [東南アジア]

 5月末に書いたものですが、たぶん今のほうが関心ある方が多いので、こっちへ持ってきました。

 8年ほどブログを書いていなかったので、今のブログはその間の回想録みたいなものかなと思います。 今のところ毎日書き続けてもあまり飽きないです。いつまで続くのであろうか?続くと言えば今晩は意外にも雨が降らず、走ることができました。10キロ50分くらいでいつもより調子が良かった。走る前のマッサージが良かったのか。

 ともかく今回のトピックは、デング熱。 

 チクングニア熱が治って、また走ることができるようになったのが2010年に入って、4月に行われたZoo runでも相変わらずタイムは遅かったのですが、何とか走れるようになりました。それから4か月後、20108月下旬の事。少し熱が高く体温を測ると38.5くらい。23日熱が続いたので、病院に行きました。血液検査をしたら白血球の数が少し低い。デング熱ではないかと言われ、とりあえず様子見で自宅に帰って23日後に病院に再び行きました。

 白血球と血小板の数が減少しているので、水分をもっと取るようにと言われ、帰宅。発熱すればアスピリンを投薬されますがデング熱の場合は逆効果になるし、もともとワクチンもありません。ひたすら対処療法での対応です。水やポカリ(インドネシアでポカリ作っているので)飲んだものの、症状はあんまり改善されていません。

 発熱して以来全く食欲がなく、口に食べ物を入れても、味がしない。(人によっては目の奥が痛いとかあるようですが、私はこの症状はなかったです。)原因はやはり蚊です。(人から人への感染はほとんどありません。)1週間くらいの潜伏期間があるようです。心当たりがあるのはタクシーの中、1週間ほど前に乗ったタクシーの車内に凄くたくさんの蚊がいたのを覚えています。

 もしくは職場です。ジャカルタの職場にも蚊がたくさんいます。ときどき刺されていました。どこも怪しいと言えば怪しいし、でもはっきりしたこともわかりません。

 翌日病院に行き、もう一度血液検査をしたら、血小板が依然減り続けているので、まずは点滴を打ってもらい、入院するしかないと言われました。入院はしたことないし、嫌だったので、嫌と言ったものの、別の場所に移送されました。

いよいよ点滴生活の始まり。。。

タマリンドのソフトキャンデー [東南アジア]

火曜日の夜は平日ですが、雨もまだ降らないので走れたのは走れたのですが、仕事優先中であります。20日くらいが仕事のピークと思っていたのですが、 実は今週中にだいたい用意をしておかないといけないことに気付き、かつ水木は忙しいので、火曜日の仕事の後のランニングはパスしました。いつものように仕事をして帰宅しました。

ところで日本ではなじみの少ないタマリンドのソフトキャンデーをずっとキープしています。 タマリンドってマメ科の植物で気に実がなるのですが、見た目は本当に豆を彷彿させます。

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タイ料理やインド料理ではタマリンドペーストをよく使いますが、以前何度か生のものを食べました。タイのスーパーではよく売っているのを見ます。種と繊維が多くて、食べる部分は少なく干し柿みたいな味に感じました。でもすこし酸っぱい。ペーストにするともう少し酸味がでてくるように思います。ソフトキャンデーも同じで生よりも酸味が効いて美味しい。

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賞味期限が今年の10月までです。また食べようと! 

4月の初めごろにタイやラオスで出回る緑のマンゴーも好きです。すこし酸っぱくて、甘くて、果肉がシャキシャキしていて私にとってマンゴの中では一番美味しいマンゴは若い甘酸っぱいです。 

 


ウドンターニ [東南アジア]

金曜日はいろんな人に会って、最後にお酒を飲んでしまい、三宮で日付が変わり、大阪駅から歩いて帰りました。家にたどり着いたのは2時くらい。[ふらふら][ふらふら]昨日は仕事の関係で初めての方とも出会い、2時間半も延々と話をしていました。有意義な時間でした。その方は京都出身とのこと。きけば私の出身大学のご近所に家があることがわかりました。ちょっとびっくり。その後は職場に戻り、ハワイから来ている同僚がアロハを着ていたので、私もアロハシャツを一緒に着ていました。帰りもアロハをそのまま着て、そのまま神戸で同僚の人たちと飲んでいました。インドネシアだと毎週金曜日はバテックを着るのでたまにはこんな格好も良いかなと思います。

タイの街で今回ウドンターニを紹介します。ウドンターニにはずいぶんお世話になった町です。買い物、車の修理、歯の治療、病気の治療などなどバンコクと同じくらいお世話になった町です。

ウドンターニはバンコクからおよそ500キロくらい離れた東北タイのウドンターニ県の中心の街です。街には空港もあり、バンコクやチェンマイにも定期路線が就航しています。観光地ではないので、バンコクでウドンターニに行くとか言うとタイ人には何しに行くのとちょっと笑われます。バンコクから行くと田舎に来たという感じは強いですが確かにしますが、デパートで言えばロビンソンもあるし、Big CとかLotus Tescoとか大きなスーパーもあり買い物は便利です。ホテルもロビンソンデパートの隣にあるホテルが1,000バーツで止まれますし、タイスキのMKレストランなどもあります。AEKの病院も悪くはないです。

私は車を日本では持ったことがなく、これまで3台しか車を持っていないのですが、最初の車はワーゲンゴルフ。ラオスにはゴルフのパーツを扱う店がないのですが、ウドンターニには1軒工場も持つ店があり、しかもここのオーナーは日本に留学したことのある人で日本語で会話もできました。 

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国境にて 

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Lotus Tescoの駐車場 

 

追伸

 

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Google Mapからです。赤いのがウドンターニ。 


Nok Air [東南アジア]

今日は仕事に行き、いつもと同じように帰ってきて、今晩こそとは思い、走ってきました。スピード練習するつもりがやはり加速が悪い。 1キロ4分40秒くらいかかっている。それ以上早く走れなかったです。週明けに時間が取れればまたスピード練習する予定です。 

ところで、ラオスで住んでいた時、ラオスは内陸国ということもあり食料品などの買い出しはタイのバンコクに年3,4回行ってました。その他、ビエンチャンの近くにノンカイとウドンターニという2つの町がありますが、ウドンターニは比較的大きな町なので3ヶ月に2回くらいは行って買い物をしていました。普通は自分で運転して国境を越え、買い物してまた国境を超え自宅へ帰るという感じで、虫歯もこのパターンでウドンターニまで自分で車を運転して、病院で治療を受けその夜のうちに帰ることが2回くらいあり随分お世話になりました。

ウドンターニはバンコクへ行くときもウドンターニから国内線でバンコクへ飛ぶパターンが多かったです。 国際線と国内線の値段がずいぶん違うことからでした。当時はタイ航空Nok AirAir Asiaの3つの会社が運航していました。タイ人の間で人気が高いのはTG(タイ航空)、Nok Air、Air Asiaという順のような感じでした。Nok Air もAir AsiaもいわゆるLCCであり、私も何度かNok Airに乗りましたが、機材のペインティングがちょっとユニーク。

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ウドンターニの空港(今はもっと整備が進み、立派になっています。)

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黄色地のものとピンク地のものがあり、ウドンターニからはバンコクとチャンマイに定期便を運航しています。最初機材をみたときの衝撃大きかったです。(笑) 


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リスペクトする気持ち [東南アジア]

バトミントン後の筋肉痛もほとんどおさまってきました。しかしまたあのバトミントンを今週末再びやります。楽しみ。今度はたぶん問題ないと思います。明日明後日はランニングもできる予定です。できればスピード練習やろうと思います。
  
ところで職場である人と昨日今日とメールをやり取りを何度かして改めておもったことあります。それは、たとえどんな人であれ相手をリスペクトする気持ちを忘れてはいけないこと。これって自分のモットーみたいものだったはず。多分ずっと思っていたこと。そしてすこし忘れ気味だったかもしれません。
 
これまでベトナム、ラオス、インドネシア、スリランカと住みました。ラオスのような小さな国、東南アジアでも貧しいと言われた国やその人たちにもDignity (尊厳)があると思いました。その気持ちを忘れないでおこうと、ラオス学校を卒業して思いました。今年4月に日本に帰ってきて、現在の職場は前の職場とかなり違います。でも謙虚さをもつことと相手へのリスペクトする気持ちはやはり忘れてはいけないということをつい先ほど改めて認識しました。 ありがとねHさん。
 
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ラオスの国花でもあるプルメリア。この花をみるとラオスを思い出します。 
 

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