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しあわせはいつもじぶんのこころがきめる [東南アジア]

10日前からお腹の不調はだいぶ治まりましたが、完全復調ではありません。お腹が緩いことも気にせず、月曜日にしては珍しく走れました。いつもの大阪城コース2周。今日は久しぶりだったので、最初はちょっと抑え目で、体が温まってからスピードを少し入れてみました。 風を切る感じで走っていて気持ち良かった。10キロを50分ほど走りました。

話は変わり、3年前に自分が書いた日記を読み直しました。ジャカルタを去る本帰国2週間前の日記です。

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このブログにはほとんど何も書いていませんでしたが、実はmixiにはインドネシアで働いていた頃の日記が残っているので、読み返すとなるほどあの時はどういう心理状況だったのかなるほどと今更ながらに思います。今までの経験でインドネシアが一番大変だったと思います。スリランカはいろいろ課題があったものの、インドネシアほどではなかったと思います。

今でも記憶に残っていることは、ジャカルタを去る3日ほど前のいつものようにアパートから職場への朝の通勤時、スディルマンの大通を見ていました。ここに戻ることはないのかと思うといつも見慣れた景色がいつもと違うように見えました。切なくもの悲しげな雰囲気が漂っていました。タクシーの運ちゃんが私が3日後にジャカルタを発つなんて知りません。今から思えば景色をどうとらえるのかさえ自分の気持ちの持ち方次第なんだと思います。前職では2~3年単位で勤務する機関も違えば国も違います。その国へ戻れる保証もありません。だから契約が終われば、その国を訪れる機会はグッと減ります。また国によってはひょっとすると二度と来ないかもしれません。

最初は行ったときは歓迎され、一人二人と見送り、自分よりも古参の人はだんだん少なくなる、そうして自分も見送られる順となる。どこに行ってもでもそうでした。いつまでも残るのはどうかなと思う反面、帰るときはやっぱり寂しい気持ちありました。どこが一番きつかったと訊かれればジャカルタと答えます。(スリランカでもお腹に来ていましたが、単に年齢からくる限界値が下がっただけだと思います。)それでもジャカルタを去る時はやっぱりさびしかったと思います。おそらく国内での赴任とはかなり違う感覚だと思います。

この後、相田みつをの言葉「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」を知りました。共感します。(もっともジャカルタを去るときは「しあわせ」とはちょっと違うと思いますが。。。この辺の論理の飛躍はありますが、ご愛嬌ということで[わーい(嬉しい顔)]

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問題ばかりではない [東南アジア]

健康面ではいつも問題があったジャカルタ生活。仕事の面でも課題山積と言う感があり、ストレスがかなりあったと思います。でも悪いことばっかりでもなかった。[わーい(嬉しい顔)]私自身はゴルフをやらないし、日本にもほとんど帰国しなかったのですが、週末はもっぱらインドネシア語を勉強していたり、ヤマハの教室に行ったりしていました。それに、よく下の子供のサッカーの試合の応援にも行っていました。そこで知り合った下の子供の同級生の親御さんたちとは楽しくお付き合いできました。[サッカー][サッカー][サッカー]

お付き合いあった日本人のご家族は上の子供の同級生くらいで、下の子供の同級生は国籍もバラバラでした。仲の良かったデンマーク人、インド人 の家にはよく行き来しました。お互いにとってジャカルタでの生活は短くて3年。長くて5年くらいなので、何だかんだといろいろ話をしました。国籍は違っても働いている会社も違っても似たような境遇の者同士というところです。この友人たちを通していろいろ新しいことも教えてもらいました。フィリピンの華人のこととか(イギリスでも離婚しているカップル多かったですが、)ヨーロッパのある国では離婚も意外に簡単にしてしまうそうです。例えば離婚の理由が結婚生活に飽きたからとか。

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(ここには自分は映っていませんが) お父さん仲間です

2011年5月に本帰国した後、6月に一瞬ジャカルタへ戻り、子供の学校の卒業式(というほどでもない簡素なセレモニー)に出て、最後に仲のよかった友人たちと最後に食事をしました。そのとき、今度はどこで再会しようかという話になりました。近いうちにバンコクで再会しようということになりました。あれから3年経ち、まだバンコクでの再会は果たしていません。ある家族はシンガポールへ、その後ミャンマーへ。別の家族はシンガポールにいたり、KLにいたり、また別の家族はまだジャカルタでいます。これから子供が大きくなればアメリカに行ったり、オーストラリアに行ったりという感じでもっとバラバラに散っていきます。それでも過去にこんなこともあったし、彼らとは生きている限り、またどこかでいつの日にか再会できるとは常に思っております。

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交通渋滞その後 [東南アジア]

前の週末から風邪でお腹を壊していたこともあり、今週はランはお休みしています。風邪のせいかわかりませんが肩甲骨の右に張りがあり、腰の右横が久々に少々痛かった1週間でした。(昨日にはすでに問題は解消されています。) 週明けにはランは再開する予定です。

ところで前回の話の前に、タクシーで強盗と運ちゃんがグルになって乗客を襲うことはジャカルタでは聞いたことなかったですが、一般的なこのやりかたとして、お客さんが後部座席に座っている時が狙い目。強盗の仲間が待っている地点まで車を運転する。その地点になると車を止める。後方の左右のドアそれぞれ一人づつから入り、お客さんの逃げ道を塞ぐらしいです。そうして金品を奪う。幸いそういう経験ありません。だからタクシーに乗るときは人によっては助手席に乗っている人もいます。 今まで働いていた国ではそういうことはなかったです。

ともかく肩凝りです。いつの頃か肩凝りがひどくなくなったのは記憶にありませんが、肩がめちゃくちゃく硬くなり、どうなるのかと思っていたら突然あいつがやってきました。四十肩。2011年春の事でした。4月くらいだったと思います。

まず腕が肩より上に上がらない。上げようとする激痛が走る。例えば飛行機に搭乗して手荷物を棚に上げるのはムリ。激痛モノです。ボールも当然投げれません。でも一番何より辛かったのは寝返りがうてない。これは本当に辛かった。四十肩の症状が現れ、結構長い期間痛かったと思います。1か月くらいはデスクワーク以外はこれまた何もできなかったと思います。

そうこうするうちに予定通り本帰国となったので、帰国してすぐに接骨院に行き、柔軟性を取り戻すためにヨガをやり、接骨院は半年ほど通いました。かなりよくなり、肩の凝りもここ数年では一番まともな状態でした。それにも関わらず、以前のような柔軟性は失われています。今はバトミントンをしていますが、ラケットを振るときも体全体で振り切れていないような感じです。

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接骨院やヨガは今後も継続する予定であります。 予防の意味もあります。


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交通渋滞 [東南アジア]

チクングニア熱デング熱につづく四十肩なのですが、その前に伏線と思われた交通渋滞[車(セダン)][車(RV)][車(RV)][バス]について 

東南アジアで交通渋滞が最も深刻なのはジャカルタはマニラなのですがジャカルタで住んでいた時、ふつう朝はアパートを6時過ぎに出て、車で30分くらいかけて職場に行っていました。帰りは同じ道路なのに酷いと2時間以上かかりました。交通量も半端ではないし、バイクがすり抜けるときにドアミラーを壊されたり、車にぶつけてきたりということが時々起っていました。職場に着くと1週間に1回くらいは外勤もしていたのですが、外勤すると半日程度はつぶれたりすることもあり、用件はなるべく溜めておいて、外勤の頻度を落としていました。目的地次第ですが、日によっては車に乗っている時間が5、6時間ということも時々あったからです。一番嫌なパターンは、夕方車に乗っていると雨が降っていて、そのうち激しい雨になり、道路が冠水してしまう。そうするとバイク乗りは道路で雨に濡れない場所で雨宿りするので、車線が1つ塞がれ大渋滞が起こります。

車は仕事で使う会社の車、私用車、タクシーだったりするのですが、渋滞の中に入るとすごく眠くなります。 タクシーなんかで寝たら危ないという人もいますし、現地ではタクシーにそもそも乗らない人もいましたが、ジャカルタのタクシーはメーターもごまかさないし、かなりちゃんとしていました。ただ、車内に乗り込んだら蚊が飛んでいることもときどきありましたが、[がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)]気にせず、運ちゃんとしばらく話をします。運ちゃんは「お前韓国人か?」と私の場合はほとんど毎回韓国人か聞かれます。日本人と聞かれたことはほとんどありません。

(実はジャカルタには在留邦人の3~4倍くらいの韓国人が住んでいます。一旗揚げようと家財道具を売り払ってインドネシアにやってきた韓国人も多いのだとか。)

ともかく少し運ちゃんとどこから来たのか?どこに住んでいるのか?ジャカルタで何しているのか?何年位インドネシアで住んでいるのか?インドネシアはどうだ?等々とインドネシア語で他愛のない会話を一通りして外を見ると渋滞に引っかかるエリアに。そうすると見る見るうちに眠くなり、渋滞の中で寝てしまう。起きると体が硬くなり、肩凝りが本当にひどく、大概寝入ってしまったのは失敗と後悔しました。これがだいたいのいつもお決まりのパターンでした。そういうことを繰り返していたこともあり私の肩は当時岩のように硬くなっていました。街には接骨院もないし、マッサージもコタの街のほうにあるくらいです。 

ジャカルタの人口は約1千万。近隣の街も含めると2千万人以上が住んでいます。DSC_1139.jpg

雨が降って洪水になるとこんな感じです。

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マラッカの街角 2013年1月25日 [東南アジア]

マラッカと言えばマラッカ海峡と言うのが自分のイメージ、ここはマレー半島の中でも重要な街らしい。しかし、マレーシア・タイ・シンガポールにいくときは、ほとんどガイドブックを持ち歩いていないのでどこに何があるのかさっぱりわからなかったのが今回のケース。[ふらふら][ふらふら]

マラッカの街にあるもので有名なのは教会。それ以外のものほとんど知らない。(苦笑)

しかし街中意外にも面白い感じでした。 このあたりは確か唐人街だったような

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最近は日本語をつかっているお店もときどきあります。 

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昔要塞だったところ 

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運河だったと思います。 

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一番有名な教会でも名前はなんていうのか知らない。。(キリスト教会とのこと) 

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この像が誰か知らないでもとりあえず撮影。(なんとフランシスコ・ザビエル) 

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教会跡 

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高台から見たマラッカの街(意外に都会と思いました。) 

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最後に好きなRoti canaiとTeh tarikという黄金コンビ。(スリランカでは同じようなものは見たことありません。)

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マレーシアが最初マラヤ連邦としてイギリスから1957年独立したとき、マラッカで独立宣言を行ったようです。当時はシンガポールもマラヤ連邦の一員。65年にシンガポールがマラヤ連邦から追放され、今のマレーシアとシンガポールになりました。例えば昔はマレーシア航空とシンガポール航空は同じ会社でした。 


マラッカ食い倒れ(その2) [東南アジア]

マラッカに昼前に到着し、チューと合流。街中は歩いて移動。食い倒れたので食い倒れ道中と名称変更です。
 
まず、チキンライスを食べに地元で行列のできるレストランへ(時期が時期だけに日本人はほとんど見かけず)
ここのチキンライスは一口サイズでした。中華料理は美味しかった。Enakですね。
 
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かき氷はドリアンが入ったものを食べたような記憶が。。。でも甘くて美味しかったです。
ドリアンも実は好き[exclamation] 
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ちょっと歩いてお腹を減らして、ビールを飲みました。暑かったので美味かった。
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東南アジアの人たちはこの貝が好きです。私にはまSo soかな[るんるん]
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チーズフォンデュとちがって、真ん中にはカレースープがあり、そこに(サテ―)具を入れて火が通ったら取り出し食べる。
これは美味しかったけど、お腹がパンク寸前でキケンです!しかしもう1軒挑戦しないと。 
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最後に〆としてNyonya料理。これはマレーシアの家庭料理みたいなもので
マレー、中華などが融合したもの。満腹のため、お腹がほとんど受け付けず(苦笑) 
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これを食べて、KLへ帰京しました。ホテルへついたら日付が変わっていました。
 
こんなに食い倒したのは初めてです。
 
今回は私の大好きなRoti CanaiやLaksaは頂きませんでしたが、ほんまに ごちそうさんでした。
 
友人へは多謝!Terima kasih banyak atas friendship 
 
次回はマラッカの街角で~す。 
 
 
 

マラッカ(マレーシア) 2013年1月26日 [東南アジア]

時系列でいうとまったくバラバラなんですが、2013年1月の最終の週末、スリランカからマレーシアに行きました。

第一の目的はOUM(Open University Malaysia)に提出した修士論文のプレゼンをするため。二番目はマレーシアの友人(華人)たちと一緒にご飯を食べること。今回は2つ目の話食事の話。クアラルンプールではなくてマラッカ食い倒れ道中です。

OUMのコースで一緒だった華人3人(弁護士のジョー、エンジニアのウォンとチュー)とは仲が良く、スクリーニングで学校に行ったときによく食事を一緒にしたりしていました。私の論文も提出が終わりプレゼンした後、マレーシアに行く機会も減るので、ご飯をもう一度一緒に食べに行こうということになり、プレゼンの終わった翌日チューの出身地のマラッカへ行きました。なぜマラッカなのかと言えばチューが帰省したいからです。マラッカは世界遺産だけど世界遺産目当てではありません。

KL(クアラルンプール)で泊まっていたホテルでウォンとウォンの奥さんにピックアップしてもらい、3人でジョーの家へまず行きました。彼女の家は天井が高く良い感じでした。さすがに高収入というかんじ。そのあと、4人でジョーの近所でナシレマックを食べました。これが食い倒れ旅行の始まり。

ナシレマックの後は、学校での話や仕事などなど他愛のない話をしながら高速に乗ってマラッカへ直行しました。マラッカはKLとシンガポールの中間点にある街で、ご飯がおいしいのでシンガポール人も週末にご飯を食べにマラッカに来ると友人たちは言っていました。実際いろいろお店があり良い感じです。

 

ナシレマック (ナシレマとも)マレーシアの代表的な料理です。)

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チクングニア熱とデング熱 [東南アジア]

23日金曜日東京でスリランカでの仕事の報告をしました。約14年間業界で仕事をし、一区切りというところかな。これから長期で在外に行くことはないかと思います。しかし、またいつかお手伝いできれば思います。そのためにずっと健康でいたい。健康という面から2001年から14年間を振り返ります。ラオスでの20012004年と2005年~2008年の6年間は病気にもならず、つつがなく健康に過ごせたと思います。しかし200711月から20081月まで地方に出張することが多く、かつ車で最大13時間移動(そのうち未舗装道路が6時間くらい)というのを繰り返した結果、歯がボロボロになりました。ラオスの主食のもち米も原因の一つ。仕事を終えて歯医者に行き、2時間くらい口を開けたまま、(しかし睡眠不足のために歯の治療中なのに眠ってしまう。)ということもありました。今この姿を想像すると何とも間抜けな自分で苦笑せざるを得ません。


 次にジャカルタでは2度大きい病気になりました。チクングニア熱とデング熱。どっちも蚊を媒介して感染する病気。最初に罹ったチクングニア熱20096月に入ってすぐに熱が出てきて、背中が痛い。熱はそれほどひどくなかったけど、背中の痛みが腰に移り、病院に行っても原因不明でよくわからない。熱は微熱になったものの2週間以上残った。ようやく微熱はなくなったものの、足が大問題を起こした。微熱が出てきたころには左足の膝が痛い。右足の踵が痛いということで、最初は立てなくなり、まともに歩けなくなり、ジャカルタの病院を2つほど行ったら、強直性脊髄炎だから検査しろと言われ、指定された病院へ一人で行き、検査したものの異常なし。ジャカルタではだめだと思い、結局自分で判断してシンガポールの病院に行くことに決め、8月初めにシンガポールの専門医に診てもらいました。症状が現れ約2ヶ月経っていた。相変わらずまともに歩けない。歩行困難。シンガポールの街は結構歩かないといけないのですが、病院に行ってそのあとオーチャードのほうを歩いた。片足引きづりながら歩いたらもう片方の足が痛くてたまらない。休憩ばっかり、街中の階段がこんなに苦痛なのかと思ったものです。バリアーフリーの意味良くわかりました。シンガポールに1泊し、ジャカルタへ帰った。ようやくまともに歩くことができるようになったのが9月に入ってでした。でも左足の膝が痛くて、全く走れない。結局12月になってようやく走ることができるようになった。半年間は本当に歩くのが辛い、走れない状態だった。いろいろ人から聞くとチクングニア熱ということがわかった。半年ぶりに走れた時はすご~く嬉しかった。[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]


 ジャカルタにいた頃はシンガポールマラソンにエントリーしたかったけど、2008年は遅すぎ、2年目はこの状態だったのであきらめざるを得なかった。


14年ぶりの再会 [東南アジア]

朝の仕事は例によって汗をかきながら、教室にたくさん集まると暑いです。喋り続けると更に汗が。。。[わーい(嬉しい顔)] 

夙川に昨日行ってきました。外国人と結婚した友人と会うためです。友人と最後に会ったのは2000年頃だったと思います。

彼女のご主人が日本で研究するため1年間滞在しているので、お子さんたちを伴いご家族も一緒に帰国中です。(いや滞在中ですね。)

しかし、彼女はすごくパワフルな人です。相変わらずの昔と同じ口調でまくしたて、この友人のパワーには勝てそうにもありません。最初に出会ったのは98年ベトナムでいた頃で随分前だし、今は2児の母になり更にパワーアップです。師母と言われているらしいです。もちろん圧倒されているだけでなく、共感する部分も多く、でも彼女を見て自分も頑張らないといけないと改めて思います。

西宮北口は20代の頃はよく行ったけど、夙川は初めてのところでした。

久しぶりの阪急電車も懐かしかった。

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ルーシーおばさんとシングリッシュ [東南アジア]

シンガポールで有名なルーシーおばさん(Auntie Lucy)の番組をときどきインターネットで観ます。

典型的なシンガポールのおばさん役のルーシーおばさんは通常は普通語を話し、時々英語の単語を使う。 

 映画( http://youtu.be/UWqXp-v_7XY )観ても何を言っているのかわからないこともあるけど、結構笑えます。 

シンガポールはマレー語でシンガプラ(Singapura)。シンガポールとかマレーシアに行くと英語にマレー語や普通語、福建語をまぜてしゃべるのが楽しいです。シンガポールの国歌はMajulah Singapura(マレー語で進めシンガポール)昔はシンガポール航空はマレーシア航空と同一会社だったり、町のあっちこっちにマレー語の地名があります。
自分は少しだけシングリッシュ話しますが、緩い感じがやっぱり好きです。

An Essential Guide to Singlish

An Essential Guide to Singlish

  • 作者: Miel
  • 出版社/メーカー: Talisman Publishing
  • 発売日: 2010/08/31
  • メディア: ペーパーバック

 

シンガポールに行けば、語尾にLahをつける。例えばOK lah とか普通語にもlahをつけて没有 lahなんて言う。

でもシンガポールで働くと日本と同じペースで働かないといけないと友人はこぼしていましたが。。。

 


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